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| 「流転の歴史」 |
| 宝寿寺は聖武天皇の勅願により中山川下流に建立されましたが、洪水の被害をたびたび受けたので、天養二年に再建され、そのおり山号を天養山と改めました。のち、豊臣秀吉の時代に戦火で荒れ果ててしまいましたが、寛永十三年、宥伝上人によって復興されました。明治になって神仏分離で廃寺となりましたが、明治十年、大石竜遍上人によって再興されました。しかし、大正十年、鉄道の開通で境内に駅がかかってしまったので現在の地へ移転しました。このように宝寿寺は流転の歴史の中で今に続いています。宝寿寺の本尊は十一面観音像ですが、これはお大師様が聖武天皇のお妃光明皇后の姿をかたどって刻んだと伝えられています。この本尊は、国司の夫人が難産のため境内の玉の井の水をお大師様にいただいたところ無事出産したことから、安産の神様として信仰を集めています。 | ![]() |