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| 「歌人 紀貫之」 |
| 国分寺は天平年間に聖武天皇が国ごとに国分寺、国分尼寺を建立した際、土佐の国分寺として、行基菩薩によって開かれたと伝えられています。この国分寺あたりは、昔の国府があったところで、土佐の国の政治、交通、文化の中心地でした。国分寺から東へ一キロほどのところに土佐の国庁跡も残っています。古今和歌集をあらわした歌人紀貫之が土佐の国司として四年ほどの間この地に留まり国政を司ったことはよく知られています。 紀貫之が任期を終えて、土佐を出発し、都につくまでの五十五日間の紀行をつづったのが有名な「土佐日記」です。ところで、 紀貫之は在任中にこの地で不幸にも娘を亡くしています。都を遠く離れた地での事だけに悲しみも深く、「都へと思うもものの悲しきは帰らぬ人のあればなりけり」という歌を残しています。 |
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